« オールスター準備開始 | Main | 昌、意地見せた。 »

June 02, 2001

さらば、ジェイ・リー

李鍾範の退団が決まった。去年の2位の功労者(あとバンチと種田とエディと岩瀬)と考えているので何か釈然としないものがある。しかし信賞必罰のプロの世界では致し方無いところか。


李鍾範と言えばやはり98年の来日当初の活躍が鮮烈な印象として残っている。チームは李のために名手久慈を二塁に、立浪を左翼にコンバートして慣れた遊撃のポジションを与えた。遊撃の李は躍動感に溢れていた。守って打って走った。「韓国のイチロー」と言う前評判通りの活躍に酔いしれたものだ。

初夏、川尻の死球で骨折。向かっていくバッティングが災いした。翌日から李の姿はベンチから消えた。これが「韓国のイチロー」最後の姿だったかもしれない。チームは立浪を二塁、久慈を遊撃に戻し、李抜きで夏を戦った。チームはBAYSTARSとデットヒートを続けた。自分は李さえ戻ってくればと彼の復帰を心の拠り所としていた。彼が戻ってきたのは秋口だった。

李鍾範は1番左翼として戻ってきた。チームは逃げるBAYSTARSを必死で追いかけたが直接対決で勝てない。結局98年は2位で終わった。

99年孝介が入団。李鍾範は外野手として練習していた。遊撃のときの精彩は無くなっていた。

2000年大物外国人デビット・ニルソンが入団。外国人枠の関係で2軍スタートだった。しかし大物は極度の不振に陥り李鍾範に出番が回ってきた。李鍾範は救世主となった。

今年も外国人枠に泣いた。チームは走らない李鍾範を2軍においた。李はもう耐えられなかった。


何故、李鍾範は走らなくなってしまったのだろう。それはチームの指示なのかもしれない。李の調子の問題なのかもしれない。しかし、守って走っての李鍾範である。李鍾範が走らなくなったのが残念でならない。


応援団は李鍾範のことを「ジェイリー」と呼んで応援する。私はこれが嫌いだった。何故98年春先のように「リージョンボム」と応援しなかったのだろうか。彼は名前に誇りを持っていたと思う。「リージョンボム」と呼ばれたかったと思う。「ジェイリー」はチームを去った。今後の「リージョンボム」の活躍を期待する。日本であろうと韓国であろうとメジャーであろうと。

|

« オールスター準備開始 | Main | 昌、意地見せた。 »

日々雑感neo!」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55739/11489019

Listed below are links to weblogs that reference さらば、ジェイ・リー:

« オールスター準備開始 | Main | 昌、意地見せた。 »